くじびきは嫌!

 教養委員長と校外委員長も、本部役員と一緒に募集しちゃったら良いかもしれない!それで、委員長が各委員を召集すう形にすれば、委員に立候補してくれた人たちは下を向かなくて済むから、懲役者ではなくボランティアとして仲良くやれるんじゃないかな?

 仲良くやるのが教養委員会の目的だったら、委員同士が仲良くやれる方法を考えないとね。

 委員長は大変ですけど(^^;

 うちの学校では、教養、校外委員長は、本部役員と同じく、一度やったら以降のくじ引きは辞退権があるのです。でも、その程度で市の教育委員会の下請けをタダ働きするってのは甘いと思うのですよね。もっと特典をつけて、PTA頑張ったら、市の職安から天使が降臨して、お金になるいろんな仕事を紹介してもらえたらなお良いです。

日本生涯教育学会だって!学会だって!

こんな記事を見つけました。

 

生涯学習研究e事典 トップページ 日本生涯教育学会

より。

家庭教育学級 1.家庭教育学級  服部英二

 

 

1.家庭教育学級

     子どもにとって、家庭は人間形成の行われる最初の場であり、子どもの人間形成を図っていく上で、家庭の影響は極めて大きい。とりわけ乳幼児期は人間の生涯の始期であり、一生のうちでも最も可塑性に富んだ時期であることから、乳幼児期の家庭教育の在り方は、子どもの人間形成を図る上で重要な役割を果たす。

  家庭教育は、親や保護者が子どもに対して行う本来は私的な教育である。しかし、子どもの人間形成に及ぼす親の影響の重要性を考えると、親が子どもの発達段階に応じた家庭教育に関する学習を行うことは、極めて大切なことである。

 

 

 フムフム。大切ですな。幼稚園では、お手紙や懇談会で、必要な情報を提示してくれています。

「トイレはまだ完璧ではありません。生理的なものは叱らないで。」

超!参考になります(^-^)

 

  このようなことから、社会教育行政においては従来から親等の家庭教育に関する学習活動の支援を成人教育の一環として位置付け、国及び地方自治体は、その奨励に努めてきた。

 

 はい。

 

1)親や保護者が家庭教育に関する学習を行う家庭教育学級

 家庭教育学級とは、親(親になる前の者を含む)や保護者に対し、教育委員会等が家庭教育に関する学習の機会を計画的に提供する事業であり、親や保護者が一定期間にわたって継続的にグループで学習活動を展開する点に特徴がある。

 

 

 提供するのは教育を受ける機会ではなくて、学習する機会ですな。

 

 家庭教育学級は、親が子どもの心身の発達上の課題などを学び、親役割や家庭の在り方を再認識するなど家庭教育に関する学習機会として重要であるばかりでなく、この事業を通じて同じ悩みを持つ親同士が相互に交流し合い、親の自発的な学習を促すきっかけともなっており、地域に根ざした学級として高い評価を得ている。

 

 自発的な学習・・・うちはそんなに盛り上がってないな。って言うか、その辺考えもせずに企画しちゃったな。そもそも

「去年までの企画を見て考えてきて!」

程度の引き継ぎで、趣旨まで伝わるわけがないのです。委員長はあくまでクラス委員みたいなポジションにして、会合一発目は教育委員会の人が来て、先生ポジションできっちり説明するべきなのです。

 

  国は、昭和39(1964)年度から市町村が開設するこの家庭教育学級に対して、その経費の一部を補助するなど、その奨励支援に努めてきた。しかし国全体としての補助金等についての見直しの一環として平成15(2003)年度をもって、この補助金は廃止され、現在は国の委託事業として一部実施されるほかは、市町村等が自ら実施する事業として乳幼児を持つ親を対象とした学級や父親のための子育て講座、思春期セミナーなど対象や内容に応じた様々な家庭教育学級が開設されている。

 

 補助金の見直し!どうして止めちゃったのかが問題です。うまく行っていたら、止めないですよね。気になる(モヤモヤ)

 

2)家庭教育向上のための総合的な対策や支援

 近年、都市化、核家族化、地域における地縁的なつながりの希薄化などを背景に、家庭の教育機能や地域の教育力の低下が指摘されている。また少年非行や児童虐待の深刻化、急速な少子化の動向などを踏まえ、家庭教育学級に参加しづらい親や全ての保護者に対するきめ細やかな家庭教育に関する学習支援策の充実や地域での子育てを支援するネットワークづくりの強化などが求められている。

 

 

 そうそう。出られる人は、さほど深刻ではないのです。

 

  このため、家庭教育学級の奨励を含む家庭の教育力の向上に向けた総合的な取組として、平成16(2004)年度から、家庭教育に関する様々な学習機会や相談機会、情報の提供などを柱とする「家庭教育支援総合推進事業」が、国の委託事業として行われることとなった。この事業の中では、子育て支援のための新たな講座の開設や地域での子育てや家庭教育に関する気軽な相談相手である「子育てサポーター」などの育成や支援、子どもの発達段階に応じた子育て上の課題や留意点などを取りまとめた家庭教育手帳の作成配付など親や保護者を対象とした積極的な支援策が講じられている。

 

 そうだね。家庭教育学級は要らないね。教養委員会はもう、ハッキリと、お楽しみクラブにしたらいいと思います。来年度は宇宙飛行士呼ぼう!

 

参考文献 ・文部科学省編 平成17年度文部科学白書「教育改革と地域・家庭の教育力の向上」

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家庭教育学級の意味を見つけたよ

 家庭教育学級をネットで検索。国から来ていたのですな。

「我が国の文教施策」(昭和63年度)[第1部 第3章 第3節 1]

 えええ・・・ざっくり言うと、何度も顔を合わせて、子育て世代の不安を話し合いましょうと言う事ですかな。ちょっと古いな。

 

 そうすると、全額つぎ込んで大きな講演会をして、すごい人を見てみようとかいうのは趣旨に反しますね!むしろ、私たちの班の企画した手芸講座とか、その他お楽しみ講座は、完璧な訳です。むしろ、2時間フルに使う講演会とか、他学との合同イベントは、雑談の時間を持てないので意味なし。アンケートも、イベントの良し悪しを書いても意味なしです。

 

 集まるという意味では、現在校外委員会で担当している学校周りの清掃・除草に便乗してもいいですね。終了のお茶出しを担当させてもらって、ちょっぴり雑談していただきます。

 

 では、せっかく集まってもらうのだから、やりっぱなしではなく、不安を挙げてもらって市の教育委員会に回収してもらうのが正しいやり方ではないでしょうか。そして、アンケートを見て、市が主催して講演会を開くなり記事を書いてもらうなりして、これを教養委員会が校内でアナウンスします。どうだ!?

 

 ちなみに私の今の最大の不安は、PTAの役員を無事こなせるかと言う事です。こういう不安って、実は多いのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

温度差があるな

 家庭教育学級が開講式を迎えました。この会の意味を捉える大チャンスです。

 開式の言葉、校長先生の挨拶、教養委員長の話、教育委員会の話、受講生の挨拶、等々。いいなあと思ったのが、受講生の、

「大人になって、教えてもらう機会もなくなって・・・」

です。高校生に戻って地味に授業を受けている夢がすごく楽しいのは、そういうことなのかもしれません。逆に違和感を感じたのは、教育委員会の方の

「開講おめでとうございます。」

しばらく???でしたが、わかりました!実は、お客さん一人も来てくれなかったのです(T_T)

 

 さて、知りたかった教育委員会からの御言葉です。お手紙で持ってきていただきました。箇条書きですが、

 家庭教育学級→学習の場としていただく

家庭教育の充実

健全育成

生涯学習

共に学ぶ喜び

学校・地域との連携

子供に影響

 

 素敵な言葉を並べているようでいて、要するに、えええ・・・、わかりません!教養委員会を勉強会にすれば良いんですかね?それとも、地域の塾講師を呼んで、子供をやる気にする方法とか教えてもらう?

 来てくださった先生自身の話は少し分かって、こんな感じ。

 家庭教育学級は時代に合わせて変化しており、赤ちゃん連れNGの格式高い時代から、今やキッズエリアを設ける学校も出てきました。悩みを抱えるお母さんの相談窓口は、この市には様々あって、特にスクールソーシャルワーカーは、親のためにも家庭訪問してくれるとのこと。(良い情報をありがとうございます。)最後に、子供は親のするように育つ、言うようには育たない。だから楽しく学びましょうとのことです。

 じゃあ、うちの子は、細か〜い事を気にしながら仕事をするのかな。ヤレヤレ(^^;

 

 校長先生の挨拶では、親同士のコミュニケーションを広げてくださいとのことです。

 

 休憩時間に、市の教育委員会から来た方に、家庭教育学級をもっと自由に出来ないかと聞いてみました。

 義務なら意図を、権利なら自由を!

 

 毎年の役員数に合わせて、講演会数を減らすことは可能ですか?

A. 7講座とか9講座とかあるから、講座数は自由なんじゃない?

(これね、実は、全時間数で決まっているから、減ってないんです。うちの学校は少子化が始まってて、今まで3組あったのに、今年の1年生は2組しか無いんだよね。18人いた委員も6年後には12人。委員長副委員長差し引いて10人、5講座企画で精一杯だと思うんだ。)

 

 全講演料を注ぎ込んで、講演回数を1回にしても良いですか?すごい企画ができます。

A. そういうのは有志が集まって集金してやったらいい。

(そうじゃないんだorz そういう有志に教養委員会を託したいんだ。)

 

 他校との合同講座を断っても良いですか?

A. ・・・?

 学内の他の団体と合同講座を持っても良いですか?交流目的だったら、学内とやったらより良いですよね。ボランティアの園芸とか防災とか。(間違えて防犯って言っちゃいましたが(^^;)

A. う〜ん?

(うちの学校、人気のイベントがいっぱいあるのです。これを取り込めれば、企画数が稼げるし、学校の役に立つし、講師の交渉お願いできるし、相手の団体がそのまま参加者数になるし、うまくいけば、教養委員会は学内の講演会や親子企画をまとめて報告するポジションになるわけです!12人でも行けそうじゃない?)

 

 人数実績が必要だったら、インターネット講座を開いて、読んだ人にイイネボタンを押してもらったら、働いている人にも参加してもらえそうですよね。

A. 人数は関係ないよ。

(では、市の教育委員会の目的は何?)

A. 皆喜んで立候補しているんだよね?どうしてそんなことを聞くの?

 

 うーん(^^;

 喜んで立候補してはいるけれど、理由は違うんですよ。わかっていらっしゃらないですね。そして、市の教育委員会側の理念もよくわかっていらっしゃらない。要するに、この方も、『全小学校の家庭教育学級で挨拶をせよ』と言うミッションを与えられて出てきただけで、私たちと同じ、慣例を維持するのが仕事な訳です。残念。

 モヤモヤするぅ!

講演会ってどうしてやるの?

 教養委員会の仕事は、講演会の企画と実行です。

 私の知っている講演会とは、学生の頃、教授が時々誰かを呼んでくる研究室の講演会です。人選と交渉、講演のお知らせは教授、部屋の確保や当日の準備は学生がやっていました。

 人選の基準は、教授が聴きたい話、講師が教授に聞いてほしい話、教授が学生に聞かせてやりたい話などでした。どの話も興味深く、また自分の研究の参考になればと真剣に聞いていました。

 

 こういう基準で考えると、講師の選択は企画者の仕事なのですね。企画者は市の教育委員会?しかし出席はせず。では教養委員長?なぜか引き継いだシステムでは教養委員長に講師や方針の提案権はなし。(かわいそう・・・(^^;)今のシステムでは、平の役員を班に分けて全部で8講演企画することになっています。

 

 では、私も含めて平の委員がどんな人たちかと言うと、クラスで一人選出します。子ども1人につき役員を1回と言う暗黙ノルマをこなすために、

「やる人〜!」

で手を挙げてジャンケンするか、いなければくじ引きするかです。私の班は、下に赤ちゃんがいたり仕事していたりで、教養は皆初参加、全体でも去年の講演を見た人はほとんどいません。研究室見学もしないで入ってきた新入生のようなもの。問題意識も志も無く、何ができるのかも知らず、過去の講演集を見ながらどうしようかと話し合うわけです。

 そうすると、全体としては、お楽しみクラブみたいな講座になってきて、私みたいな変人が、

「コミュニケーション目的なら、茶話会の方が効率良いよね?」

とかおかしな事を思うわけです。

 

 講演会にもっと自由度があれば、そして、学内からリクエストが集められれば、教養委員会は必要なポジションになるはずです。学校内の他の委員会と合同開催すれば、学校内の問題が解決できて一石二鳥。ボランティアの土曜スクールの、体験入学にも利用できます。教師が知りたいテーマも、子供と見たいミニコンサートも、お父さんサークルの新企画準備枠も。園芸講座と称して園芸店を呼んで、学校の花壇のレイアウトを教えてもらい、後で講演料分の苗を寄付してもらったら(・・・さすがにまずいかな(^^;)保護者の中で、カルチャースクールの資格を取った人がいたら、講演の練習台にしてもらっても良いです。とにかく、学校の事でできることをやります。やるべき事が無かったら、一点豪華張りで、戦争写真家の渡部陽一さんとか一流の人を呼んでみたいです。紛争地域での小学校の意味とか話してもらうと、感動するらしいですよ(^-^) 

 

 学校間の合同開催が義務なのも謎です。合同開催は、同じテーマを企画したい学校があった年のみの開催で十分です。交流を図るのが目的なら、学内の方が重要です。

 

 幼稚園では、教養委員会的なことは全部幼稚園スタッフがやっていました。役員はお手伝いのみ。

 幼児教育の意味や人生での位置付け、幼稚園の理念、教育目標の解説、具体的な幼稚園での活動、家でしてほしいことや安全対策など、講演会はもちろん、参観、遠足、お手紙やらで、さんざんアピールしています。学会にまで顔を出して勉強し、教育や理念について、毎年試行錯誤しています。

 これは、毎年同じ人が幼稚園の存続をかけてやっているから出来ることです。教養委員会は、強制参加で皆1年生ある故に、伝統の引き継ぎで終わります。

 そもそも教育委員会の理念がまだ掴めません。講演で聞いた概要をお手紙にするわけでもなし、タイトルの強制の意味もわかりません。

 

 市の教育委員会は、教養委員会に何を課しているのか、どんな理念でやっているのか、聞いてみたいです。

 もしかすると、昔の女性が勝ち取った権利が、そのまま残っているのかもしれません(^^;

教養委員会って何を目指せば良いの?

6月6日の日記より

 

 今日、小学校の草取りに参加したら、去年、教養委員会だった人に会いました。ちょっとお話。

 教養委員会の今の目的は、教育委員会からの下請けですが、教育委員会の掲げる目的はこんな感じ。
『子供が学校に行っている間に、親も教養を身に付けましょう』
 設立当時は良かったのかもしれませんが、今はどうでしょう。
 これからの専業主婦は、セレブの人か、下の子が幼い人か、介護の人か、私みたいに病気の人か、子供のために別に活動をしている人か、体力またはやる気のない人かだと思うのです。今お金に困っていなくても、子供を大学や専門学校にやるために、今からアルバイトを始めている人もいますよね。暇な人はいなくなっていくのに、こんな目的でPTA 活動が強制参加って疑問です。
 設定のタイトルを見ると、知りたい人はテレビやネットで見て勉強してるし、どうでもいい人は出席しないんだから、呼ぶなら大学の先生とか講演会のプロとか、生で見ることに価値がある一流の人がいいと思うのですが、今の予算では交通費も無理。教養って何?
 キャリアウーマンでもお父さんでも、皆喜んで参加するような目標が欲しいのです。労働賃金を削られたり、貴重な休暇を子供に留守番させてまで参加するんだから。
 でも、始めてみてわかったことは、普段会わないような人とメールとかできて、役員が終わっても挨拶友達になれて、これは貴重だなと思いました。どんな家庭の人でも地域に知り合いができれば、防犯上有利かもしれませんしね。

 で、彼女の意見は、
「親同士が顔見知りになること自体は重要なこと。」
私も意見を述べてみたら、
「コーヒーの一杯でも出して、雑談の時間も作ってと言うのが重要。」
今の目的ではいらっとする!と言うところで、似たように感じた人がいて、とても嬉しかったです(^-^)

 教養委員長にも会ったのですが、
「仕事するんだから、もっとポジティブにやろうよ。」
と言うことで、特に疑問は無いようでした。教育委員会の人が来た時、質問してみたいと言っておきました。

 まあ、目的が変わったところで、やることは一緒なのですよ。でも、やり方は微妙に変わると思います。ご近所在住のキャリアウーマンさんと、ママ友話してみたいですよね!

 気にする人が少数派なのか、皆不満でも頑張るのかわかりませんが、目的は時代によって変えていくべきだと思います。○○市が、楽しく子育てできると評判の町になったらいいと思います。

 

 

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この日記に、友人が、○○論を紹介しようかとか、お菓子を作ろうかとかコメントしてくれました。そんなことでいっぱいになったら、教養委員会も楽しいですね(^-^)

会長さんたちが会ってくれた話

  4月27日の日記より
 
 PTAの役員になりたくないので、役員の人にお手紙を書いてみました。PTA縮小しませんかって。そしたら、話を聞きましょうってことになって、今日行ってきました。もう、冷や汗たらたらの、目もうるうるでした。

 お話してみて分かったことは、会長さんはとてもいい人だったということ、去年の役員が苦労していたのは、一度役員になった人のクラス委員免除制度を作っていたからということでした。これで、今年の役員は全部立候補で決まったし、来年立候補すると言っている人もいるから、くじ引きで外れても承認会議に出るだけの見込みなのだそうです。また、学校間の情報交換で、子供の巻き込まれた犯罪捜査協力など参加できなくなるので、学校全体でPTAを止めるという企画はやりたくないということでした。
 とりあえず、PTAを脱会するという手もあるよと聞いたのですが、私が辛いのはそこではなくて、くじ引きの緊張感なので、言ってみたら、本当にどうでもいい理由でくじ引き免除欄に書いてくる人もいっぱいいるから、とりあえず書いたら大丈夫だよと言う話でした。良かった!
 
以上日記より
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 我が校にはこんなデキル人たちもいるんです!この改訂で、本部にやる気のある人たちが集まれば、子供の生徒会みたいに、本部役員もちょっと楽しいってメリットも出てくるかもしれません。このときは、彼らの仕事の成果が現れるまで、待ってみるべきだなと思いました。